GUNPO CITY When you click gunpo, you will see hope

観光/文化

伝統文化

home > 観光/文化 > 伝統文化

修理山山神祭

山本は郡名の統廢合があった1914年までは果川郡南面地域だった。修理山の麓だということで山下または山本と呼ばれていたが、 1989年1月1日、軍浦の市昇格とともに山本洞となった。
山本里の自然集落はトジャンゴル、ドゥンジョッコル、グンネ(グンアン)が1里で、クゥアンジョンと谷蘭(一名コルアン)が2里となっている。本来集落には山祝會という契があり、山神祭を主管してきた。1989年に土地が住宅公社に受容されたのにともない、故郷の伝統を守ろうという主旨からこの会を発展させて'山本住民愛郷会'また'修理山山神祭保存委員会'を結成した。
文献資料がなく、確認することはできないが、修理山の山神祭は日帝時代に一時中断されはしたが、その歴史はこの一帯では最も長いとされている。
祭日は毎年正月と7月の2回で、祭日の3、4日前に陰暦の1日か2日から選び、不浄が生じた場合には翌月に延期してやはり同様に日を選んだ。場所は修理山の太乙峰にある山神祭壇で行われる。祭壇には壁がなく、瓦屋根の一間の堂である。これを堂宇というが、'修理山山神祭堂'という懸板がかかっている。これが大堂で、太乙峰の横のカッモ峰には小さな堂があり、このふたつの堂で順に行われる。本来は山神祭堂とその建物はなく、堂の左側にある木と岩を堂ハラボジ(翁)のご神体として祭っていたが、祭の時の雪や雨を避けるために約30年前に祭堂が建てられた。

衿井マウル都堂祭

衿井都堂台は内衿井(衿井洞の京釜線の西側にある集落)西側の山にある祭壇である。洞山の鉄道側の丘の上に設置されているのだェ、'衿井都堂台祭壇'と刻まれている。'都堂'は、京畿地方で供物を捧げて山神祭をおこなう祭壇のことだが、本来は集落の前の山筋の先にある大きなイブキの木だった。ある年、供物として用いる牛を買ってきてつないでおいたのだが牛が綱を切って逃げてしまった。村中の人が牛を探したところ、現在の堂があるイブキの木の下に横になっていた。そこでここを縁起のいい地と考えて都堂台祭壇を設置したといわれている。現在の祭壇は1995年5月1日に新しく設置されたものだが、堂はイブキの木6本からできており、前側は石で築いている。(「軍浦市地名由来および氏族歴史」)毎年陰暦7月の初めに衿井洞都堂台で衿井郷親会員が中心となって村の安寧と豊年を祈願し、住民の団結と和合を深めるための祭祀をおこなう。儀式は初献礼-亜献礼-終献礼-飲福礼-徹邊豆の順で行なわれる。

ヌティウル山神祭

ヌティウル(槐谷)は斎宮洞と五禁洞一帯にあった村だ。現在のチュンム集落一帯がヌティウル集落で、その南西側の谷をヌティウルゴルと呼んでいた。ヌティウルゴルは現在の衿井洞市民体育広場と五禁洞のソウォル集落付近だ。昔からケヤキの木(槐木)は政治を司る朝廷を象徴したことから、民間で堂神木や村の守護木として植えられた。以前ドゥングン峰の西側に古いケヤキの木があったといわれている。槐谷里は1912年に果川郡南面の10の里のうちの一つとされていたが、1914年の行政区域廃合の際に始興郡南面衿井里に併合された。(「軍浦市地名由来および氏族歴史」)毎年陰暦7月の初めに五禁洞槐谷山神祭壇で槐谷愛郷会会員たちが中心となって祭祀を行なう。

ドヌティウル山神祭

堂森は大夜洞のドクコゲ集落の西側にある老木地帯だ。以前、村の守護神に豊年と無病長寿を祈願する堂があったことから堂森と呼ばれるようになった。樹齢何百年にもなるアベマキやアカシデなどが生えており、'全国美しい森大会'で'保存すべき森'に選ばれ、これを記念して標識石が立てられた。(「軍浦市地名由来および氏族歴史」)陰暦10月初めにドクコゲ集落の住民と周辺集落の住民が参加して祭祀を行なう。

三聖祠

祠宇は礼を通じて世の中を導こうという性理學的理念をもとに設立された朝鮮時代の郷村の代表的な奉祀機關で、学者を育て、性理学に大きく寄与した学者を祭る'尊賢?養士'の精神を目的に書院に付属して建てられた。
三聖祠は書院撤廃令(1868-1871)が施行された後の1882年4月に、三姓村に住んでいた朱ジョンフンが畿湖学脈の重要人物である任憲晦が持っていた朱子の真影を受け継いだ際に門中と士林の協力を得て創建した。翌年の1833年に朱ジョンフンが死亡してから1912年までの30年間は祭祀が中断されたと伝えられている。その後、日帝支配時代初期の1912年に改修され、日帝の虐政下にあっても綿々とその脈をつないできた。韓国戦争の余波で1951年に祠堂の一部が崩壊し、朱子の真影も焼失した。しかし1952年に戦争の渦中にあっても門中と儒林が力を合わせて祠堂を復元した。1973年には改修委員会、1975年には三聖祠奉讚会が発足し、10年近い努力の末に祠堂の改築を1984年に終え、今日に至っている。
祭祀は毎年春と秋の二回行なわれる。春の祭祀である春亭は朱子の命日の陰暦3月9日、秋の祭祀である秋亭は陰暦9月15日の朱子の誕生日となっている。時間は春秋祭祀ともに11時だ。祭祀のために献官と執事を選ぶ。祭祀で酒を奉る献官は、初献官、亜献官、終献官の3人だ。献官には儒林や社会の人士が選ばれる。祭祀を主管する執事には初献のときに祝文を読み上げる祝官をはじめとして執礼、奉香、奉炉、奉爵、奠爵、陳設、司尊、謁者などがいる。 祭祀の手順は大きく入斎、行斎、破斎に分けられる。入斎は斎戒(謹慎)-分定(執事の選定)-省牲(供物の屠殺)-陳設(供物の奉安と祭床の準備)-写祝(祝文を書く)の順で行なわれる。行斎は、前幣(初献官の幣帛)-初献(読祝)-亜献-終献-飲福(初献官)-望礼(初献官の祝文、幣帛を焼く)の順で行なわれる。最後の破斎は、飲福開座-出門堂會の順だ。

top - 상단으로 이동